「隠し子騒動」で感じたこと

|

 

こんにちは、二見事務所の山下です。

フリーアナの宮根誠司氏に、「隠し子騒動」とやらが起きているそうです。

web上のニュースで見た時の、素直な感想を書きたいと思います。

 

まず認知をしている状態は「隠し子」と言えるのか?

疑問に思い、ウィキで調べる。

含まれるようだ。

場合によっては、本人が知らない間に生まれてる場合も、含めるようだ。

(これを調べる過程で、市川海老蔵にも隠し子がいることを初めて知りました)

 

次に、わざわざ公共の電波で情報発信すべきものか?

宮根氏は認知し、援助も行っているとのこと。

正妻も、認めていること。

妻に告白し、また件の女性も援助し、子供も認知している。

ある意味、見事な男っぷりと言っても良いのではないだろうか。

 

「隠し子」と言っても、わざわざ自分から言うことでもないと思う。

例えば、アナウンサーが通常の放送で

「僕は兄弟が×人で、従妹が×人で、甥が×人で・・・」

などと、わざわざ発言する事なんてないだろう。

 

そう考えると、この報道は一体何なんだろうと思わざるを得ない。

残るは、報道する立場の人間としての責任だ。

TVで人のことをとやかく言っておいて、自分はどうなんだ、と言うことだ。

 

しかしながら、それであれば「隠し子」と言う言葉には抵抗がある。

「隠し子」は、宮根氏を指す言葉ではなく、子供を指す言葉だ。

この言葉が、どれだけ本人を苦しめることになるか、考えが及ばないのであろうか。

 

世間がとやかく言う問題ではないと思うが、もしも宮根氏を責めるのであれば、

「隠し子」という子供を表す言葉ではなく、宮根氏本人を指す言葉であるべきだ。

しかしながら、改めて考えると、該当する言葉がない。

造語するとしたら、「婚外子隠蔽男」とか?

 

そんな風に考えていくと、「隠し子」という言葉が物凄く罪深い言葉と感じる。

日本においては長い歴史の中で、このような事態が発生した場合、

責任ある親には何ら固有名詞がなく、

何ら責任のない子供にだけ「隠し子」と言うレッテルが貼られてしまう。

 

一体なんなんだ、これは。

これで良いのか、日本文化。

そう思わざるを得ません。

 

些細なことで「差別用語」と勝手に解釈して言葉狩りをするのは反対ですが、

普段、自分たちが使っている言葉をもっと真剣に捉えなくてはならないと感じたニュースでした。

 

 

                                             おしまい

 

 

 

 

このブログ記事について

このページは、STAFFが2012年1月 7日 09:30に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「銀行への提出書類-後編」です。

次のブログ記事は「今年の運を全て使い果たしたか?」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。